アメカジの歴史 年代別

アメカジ・バイカーTOP -- アメカジの歴史 -- 年代別

■アメカジの歴史

年代別

1910年頃
1869年の大陸横断鉄道の開通により、西部開拓時代到来。 この頃現在の「ワークウェア」の原型が登場。 また、1898年にハワイが合衆国に併合され、アロハシャツの下地も出来始めます。

1910~1930年代
WWⅠ後の豊かな時代から大恐慌時代へ。 この頃かつての開拓精神を楽しむ「デュード・ランチ」が流行り、今のウェスタン・ファッションが確立します。 また、ハワイがリゾート地として人気になり、アロハシャツはリゾートウェアとして人気が出ました。 メジャーリーグ人気でベースボールウェアが普及し始めたのもこの頃です。

1940年代
WWⅡの時代。 現在のサープラスもの~軍服関係の起源となる服の多くが登場します。(WWⅠから軍服自体はありましたが、現代アメカジのサープラス・アイテムはWWⅡ~ベトナム戦争以降のものが多いです)

1950年代~
戦後の高度成長期。この頃、「バイカーズ」等、時代のアウトサイダーな文化が現れます。 1950年のアメリカはオートクチュール(フランス仕立ての高級特注服)でした。それを打ち破ったのが、マーロン・ブランド主演の映画「欲望という名の電車」でした。 これで何が変わったのかというと、当時完全に下着扱いとなっていたTシャツが単体の服として認められたこと。 映画の中で、マーロン・ブランドが肌着ではなく、自然に着こなしていたことからTシャツ文化が生まれたそうです。 この後、ジェームスディーンが、ジーンズに白いTシャツ+真っ赤な革ジャンというスタイルを「理由なき反抗」で見せて、流行したそうです。 ジェームスディーンは永遠のアメリカのヒーローそのものですね。 もうこのころオートクチュール文化は去り、若者の映画とロックの文化が花開きます。 反面、東部ではアイビーリーガーファッションが流行り、メジャーリーグなどスポーツの影響でスポーツウェアもカジュアルアイテムに。

1960年代~
ベトナム戦争などを経て現代へ。 戦争反対の機運等を受けて「フラワームーヴメント」(ヒッピー系)が人気。ベルボトムジーンズが現れます。 その後、これらジャンルのファッションを取り入れ、現代のアメカジへ・・・
1973年にジョージルーカスが監督を務めた、「アメリカングラフィティ」という映画でアイビールック、ロックスタイルが台頭してきます。 ストレートのジーパンやチノパン、ローテクスニーカー、BDシャツが流行りました。 現在日本で流行っているアメトラもこのアイテムもモダンにタイトアップさせたものですね。 日本ではこのころからリーバイスの日本支社ができて本格的にジーンズが流行りだしたんだそうです。



TOP | アメカジの歴史 | アメカジのジャンル | バイカー・ファッションについて | アメカジ・バイカー系ブランド | アクセサリーブランド | サイトマップ